坂道徒然草

乃木坂46、欅坂46に関して思った事を思ったまま書き連ねる徒然草。 Twitter→@masa_NGZ

伊藤万理華卒業に寄せる駄文

乃木坂モチベが低下していてこのブログを2ヶ月放置してる間に、またもやメンバーの卒業発表があった。

よもや卒業に関する投稿が連続するとは思いもせず…。

 

個人的にだが、ひめたんの卒業発表には暗く重い雰囲気が感じられた。

それは休業がメンタル的なものだという憶測が飛び交った末の発表であり、自嘲気味の報告ブログの文章によるところもあったから。

 

ところが、今回の万理華の卒業発表には暗さが微塵も感じられない。

自分の才能をアウトプットする為には乃木坂46という環境が適していないという、ごく普通のサラリーマンでも考える職場環境の向上、キャリアアップにしか思えないからだ。

仕事が一部メンバーに偏重し、自身の才能を高める機会が乏しいという、現状からの脱出なのだろう。

意外にも、万理華推しの方は乃木坂時代よりも接する機会が増えるかもしれないとも思う。

 

万理華卒業に関しては非常に前向きに考えて良いと思うのであまり話す事もないんだけど、「職場環境」という意味でこのブログお馴染みの運営に対する愚痴をこぼすなら、やはり才能に見合った適材適所をせず、握手という極一部分での人気のみに偏った起用ばかりしている点は一刻も早い改革が必要だろう。(高校が舞台の作品の演者がほぼ20代という不自然さも無くなる(笑))

 

おそらく、選抜聖域メンバーはメンバーで、自分のやりたい事もやれずに苦しんでいるのではないか。

聖域メンバーもやりたい仕事ができない、若手メンバーも才能を磨く場がない。

八方塞がりの現状打破は、もはや形骸化している「選抜」という古い因習に囚われずに、才能に見合った仕事を割り振る事だろう。

 

40人以上もいて、みんなそれぞれ個性や才能が抜きん出てるんだから、問題ないはずだが、なぜ出来ないのだろうか…。 

中元日芽香卒業に寄せる駄文

中元日芽香 卒業報告ブログ。

 

blog.nogizaka46.com

 

このブログから漫然と受ける印象は、

『剣折れ矢尽きて、悔しさもありながら「ここまでよく戦った」と自分に言い聞かせている』

ような感じ。

 

でも私としては、眼前の敵よりもむしろ自国の貴族階級の壁にぶつかり剣も矢も持たされず

「手足を縛られた状態で戦わされた」

というのが実態だったんじゃないかな、という印象かな…。

 

ブログの中の一節。

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「優秀なアイドル」とはなんだろうか。

華やかなステージで歌う事だろうか。

そういう意味で使われたら、一度も選抜入りしてないメンバーは敗残者となってしまわないか。

 

陸上や水泳の競技者はタイムや距離など明確な基準がある。

プロ野球やサッカー、テニスなども対戦相手を上回るという基準がある。

映画監督や小説家、ミュージシャンなどは・作品について評価される。

 

これらはすべて事前に積み重ねた努力の「結果」に対して優劣が評価される。

ところが、アイドルというのは努力の「過程」が一つの指標として評価される。

 

擬似恋愛の相手としてだけでなく、兄と妹、親と娘のような「成長を見守る」事がファンの楽しみ方としてあり、それが喜びや悲しみや苦しみともなる。

 

そう言った意味では中元日芽香は、乃木坂全メンバーの中でもトップクラスに優秀なアイドルだったのではなかろうか。

これほどドラマチックに山あり谷ありを駆け抜けたメンバーは他に居ないと思う。

アンダーセンターを連続していた頃になぜ選抜入りできないのか、ファン側の悲しみや憤り、それによる握手券購入での奮起。

選抜入りしてジャケットに写っていた時の喜び。

 

結果を出す出さないではなく、ファンと苦楽をともにする事も、アイドルとして一つの在りようなんだと思う。

 

もちろん、AKB総選挙のように順位という絶対の指標で評価される面もある。

そういった幾つかの評価基準は有るが、そのどれか1つを極める事すら大変な事だ。

その中で中元日芽香は、「ファンと共に歩むアイドル」として、最高のアイドルであると断言したい。

 

ひめたん、卒業おめでとうございます。

 

『アンダー』の中心たる意味

18枚目のアンダーセンターが能條の連載記事でしれっと発表されていた。

 

cinema.ne.jp

発表されたという事で名前を書いてもネタバレにならないはずなんだけど、あまりにも空気のような発表の仕方に「間違いじゃないの?」と心配になって書くのをためらってしまう(笑)

 

とは言え、すでに公表されたんだし、書かない事にはこのブログが進まない。

 

 

中元日芽香北野日奈子

 

最多アンダーセンターと初アンダーセンター。

そして、休業明けと選抜落選直後。

 

過去の実績はあれど、現時点で心身ともに本調子でない人をセンターに据えるのか。

アンダラ開始時に選抜に入り、最近でも連続して選抜で活躍してた人を「アンダーの歴史の総決算」的な曲のセンターに据えるのか。

 

これが正直な感想。

 

選抜で活躍してた人にするくらいなら、アンダラ勃興期に牽引したさゆ・まりを持ってくる方が良かった。
アンダラの象徴として2人をアンダーセンターにして、その選抜枠を17枚目で活躍が目立った蘭世と、17枚目アンダーセンターのステップアップとしてみり愛を入れれば、若手登用、新陳代謝として正しい姿だったと思う。

 

もしくは、一度も選抜入りした事のないメンバー、「乃木坂46」というグループに4年も所属しながらアンダーしか知らないメンバー(そんなメンバーが居る事こそ問題だと思うが)にこそセンターをやってほしかった。

 

2期生曲「ライブ神」でももはや新鮮な驚きに欠ける堀センターをやったくらい、この運営は変化に怯えている。

「現状維持」というのは上り坂ではなく、徐々に下っていく事と同義なのは、自明の理なのだが…。

 

今作の『アンダー』という楽曲は、アンダー6年間の集大成としての役割を担っているのだろう。

3期生がアンダーに合流しないまま、アンダーが6年間で一度も叶わなかった陽の当たる活動をし続けている事から、「アンダーの意義」が揺らいでる今こそ総決算する時期なのだろう。

ただ、この楽曲が総決算に耐えうる内容かは別の議論が必要だと思うが。

 

そう考えると運営には、アンダーセンター登用の理由よりもアンダーの存在意義を明確に説明してもらいたいものだ。

18枚目妄想選抜

この記事を投稿してる時点では明日、乃木坂工事中で選抜発表がされる。

 

そこで、発表前のこのタイミングでしかできない【妄想】をいくつかしてみた。

Twitterに何パターンか投稿したのでここにまとめ。

あくまでも『妄想』なので「あのメンバーが入ってないじゃないか!」とか「このメンバーじゃダメだろ」なんて無粋なのは無用に願いますよ。

 

 

【妄想選抜1】

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侍ジャパンで一緒だった3人がフロントで、甲子園の入場曲採用を目指した夏の爽やかな応援ソングを。

2列目左右は若いフロント両脇との対比でお姉さんを。
3列目は夏曲が似合いそうなメンバーを中心に。
両サイドはセンター、2列目からの流れでお姉さん三角形を。

 

かりん→かずみん→じょーさん、生駒→絢音の秋田ペアという関係性の深い並びもポイント。

 

 

【妄想選抜2】

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綺麗な大人のお姉様選抜。
男子高校生がミステリアスなお姉様に恋するけど、軽くあしらわれてしまうひと夏のファンタジー系ソング。
センターみさ先輩はポエトリーリーディングで「食べちゃいたい」を(笑)

イメージ的には「きまぐれオレンジ★ロード」の鮎川まどか
古いな…w

 

 

【妄想選抜3】

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フレッシュ選抜。
全体的に若手で揃えて井上陽水の「少年時代」やZONEの「secret base」のような、子供目線で夏の終わりの切ない曲を。
一応、要所に経験豊富な大人メンバーを配置しフォロー。
3期生から無邪気で子供的な夏が似合う珠ちゃんれんたんをシンメトリーで。

 

 

【妄想選抜4】

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ウルトラC選抜。
センターに蘭世を投入。
仲の良いみりあやねを左右に。
経験不足なフロントを2列目から重鎮が支えるこの安心感。
3列目は仲良しれなち&くぼしー、かりん&葉月を並べ、純奈と琴子の美形ペアをシンメにしボーダー組勢揃い。
まいちゅん・伊織は美脚の威力が発揮しやすいサイドで。

 

 

【まとめ】

どのパターンを考えても、今回はかりんちゃんを必ず投入。
意外とどのテーマでもマッチしてくれる有能さ。

絢音ちゃんはアンダラ全員センター企画で夏曲が似合う事が証明済み。
3期生はテーマに合う人選してみたつもり。

 

そして、選抜固定メンバーいなくても十分戦えるんじゃない?(一応、フォントサイズ小さくしとくw)

風流を解する心

乃木坂46の1期生は太陽で、2期生は月なんだと思う。

 

太陽が輝く昼間は、月は薄白く見える程度。

明るい太陽の下、陽気で元気な「動」のエネルギー。
ただし、太陽を直視すると目を焼かれて物が見えなくなってもしまう。

 


夜になった時に暗い道を照らすのは、白銀の月。
美しい満月であったり、引き絞った弓のように凛とした三日月であったり、様々な姿に変化して魅せてくれる。

周りが暗いからこそ際立つ「静」の美しさ。

 

ただし、夜に家に籠もってる人間は知ることができない。

 

 

いま地上には、太陽に目を焼かれた狭い視野に映る物のみが世の中の全てだと信じる人が多い。

それが「自分にとっての」全てだと気付かずに。

 

月は、自己主張をしない。

ただそこに居て、地上を照らし続けているだけだ。

それが太陽に目を奪われた人には暗くて頼りなく映るのだろう。

夜は家に引きこもるから「月は要らない」と思うのだろう。

 

目に入らないもの、自分にとって必要ないものを頭ごなしに否定する心の貧しさよ。 

太陽と月は表裏一体、どちらが欠けてもバランスが成り立たない。

 

中秋の名月という美しい風習を持つ日本人として、月を愛でる風流とゆとりは持っていたいと思う。

等価交換の法則

ワイドショーのコメンテーターとかコラムニストがしたり顔で恋愛禁止ルールとファンの幻想を論じるけど、問題の本質はそこじゃない。

 

総選挙って上位に入ればシングルへの参加やメディア露出の増加など「アイドルとして活躍する場を増やせる」からこそファンは大金を払ってるのに、もはやアイドルをやる気がない人が「アイドルとして上に行くためにお金を出してくれ」と催促した事こそがこの騒動の本質。

それを恋愛禁止がおかしいだの結婚というおめでたい事も祝えないだの、印象操作というやつか?

 

いつだったか、旅行代理店のてるみくらぶが倒産が分かっていながら旅行代金を払い込ませていたのと同じこと。

 

旅行代金に見合うホテルや飛行機の座席が得られないのと、

投票数(順位)に見合うメンバーの活躍を見られなくなるというのは、

どちらも払ったお金への対価が得られていないという点で同種の詐欺事件。

 

あ、一応言っておくと、投票券じゃなくてCDを買ってるんだとか、商法としての問題点は別の問題として置いときます。

 

 

世に「無償の愛」なんて言葉はあるけれど、少なくともアイドル界隈にはそんなものは存在しない。

 

CDを買う、雑誌を買う、DVDを買う、グッズを買う、握手会に行く、ライブに行く。

 

ただ好きで勝手に応援してるだけだと言ってみても、

 

・雑誌のインタビューで想いを知れて嬉しい

・DVDでパフォーマンスが見れて嬉しい

・握手会で直接話せて嬉しい

 

という、「幸福感」を対価に得ている。

 

先にも書いたけど、選抜総選挙は上位に入ればシングルへの参加、メディア露出の増加というアイドル活動の幅を広げる事ができる。

それはファンにとっては等価以上の価値があろう。

だから、ファンは推しメンに少しでも良い環境を用意しようと躍起になる。

 

もし、等価交換がなされないなら、それは一方的な「搾取」でしかないのに、当事者とその周辺は意図的かそこから目をそらしている。

秋元康にいたっては当事者を慰留までしたそうだ。

「面白ければ何でもいい」というのが氏のポリシーらしいが、詐欺被害に遭った人たちと、アイドルたらんと必死に頑張ってる他のメンバーの顔に泥を塗る行為ではないのか?

それを面白いと思ってお金を払ってくれると思っているのか?

だとしたら、NMBのファンはナメられてる。

怒っていいと思う。

 

 

グループの先に居るファンを抜きにした面白さって…。

そこは提供される物と支払う金額が対等に価値を有するものでなければ良い関係は成り立たない。

シーソーは片側だけが重ければ一往復すら動かないのだから。

 

 

余談。

ご新規さんの増えてきた今となっては知らない人も多くなったろうけど、乃木坂でも大きなスキャンダルはいくつか有った。

ただ、総選挙のように天井知らずに数百万円にものぼる集金コンテンツはなく、せいぜい握手券の数千円といったところで収まっているだろう。

どうやら乃木坂メンバーのスキャンダルを文春が用意しているらしい。

件の結婚宣言も引鉄は文春だった。

(おそらく記事が出なければのうのうとアイドル稼業を続けたのだろう)

今回の乃木坂のスキャンダルに対して、どのような対応をとるのか…、心配でもあり気がかりでもあり…。

 

 

※最後に

偉そうにアレコレ言ってますが、特にNMBおよび当該メンバーのファンではありません。

総選挙も過去に2枚しか投票した事ないです。

部外者なのでトンチンカンな事を言ってたらゴメンナサイ。

ただ、今回は「アイドルとは」という括りで気になったので取り上げさせてもらいました。

何の選抜?

あさひなぐ」の舞台版、映画版出演者はどのように決められたのだろう?

 

映画版は現時点では発表されてないけど、舞台版でまず気になるのは選抜メンバーのみ、という事。

映画版もおそらく同様なのだろう。

 

乃木坂46の選抜メンバーというのは、

「シングルの表題曲を歌うメンバー」

だと思っているのだけど、違うのだろうか?

もちろん、表題曲を歌う以上はグループの顔として歌番組や雑誌などに優先的に出て行くのは分かる。

選抜とアンダーで格差があるのも当然だと理解している。

 

しかし、舞台や映画も、グループの顔が出て行く必要があるのだろうか?

演技という世界は、自分の色を出していくアイドルとは異なり、作品世界とその登場人物が本当に存在するかのように自分の色を隠していく物だろう。(もちろん、自分の色をキャラクターに投影した方が良い作品もあろうが)

ようするに、アイドルとは別の世界なのである。

 

そんな世界に、なぜ「曲を歌って踊るために選ばれたメンバー」が優先されているのだろう?

 

アイドルながら演技適性の高い人は数多く居る。

今では演技派女優、個性派女優として知られる篠原涼子仲間由紀恵永作博美満島ひかりなどもアイドルだった。

 

異なる世界に挑戦するなら、少なくとも適性のあるメンバーで挑むのが相手に対する礼儀というものではないだろうか。

 

断っておきたいのは、決して今の出演者を否定している訳ではない。

これが、全員のオーディションで決められたのなら何一つ文句はないのだが、無条件に枠を決めてしまったら、仮に逸材が居たところでいつまでも埋もれたままとなってしまう。

 

実際、アンダーでも後方に居る伊藤純奈は「墓場、女子高生」を足掛かりに「犬夜叉」で高い評価を得た。

 

映像作品の側でも、乃木坂は個人PVで数多くのドラマを作っているが、今作17枚目では、相楽伊織が繊細な感情の動きを表情で魅せる演技で魅了してくれた。

 

このように演技の素質があるメンバーが存在しているにもかかわらず、頑なに選抜メンバーだけで仕事を進めようとする運営の意図はなんなのか。

 

一年前も、「じょしらく弐」は立候補制と言いつつ「15人を越えたらアンダーメンバーはオーディションで決定」としていた。

たとえば、演技力の低い選抜メンバーが残る事で枠が減り、演技を期待できるアンダーメンバーが出られないなんて事にもなってしまう。

たまたま15人だったため全員舞台に上がる事ができたが、もしかしたら機会の少ないアンダーメンバーがオーディションにならないように辞退した選抜メンバーも居たかもしれない。 

まさに愚の骨頂、作品の質を落とす蛮行でしかない。

 

本当に、ここで選抜とアンダーの格差は本当に必要なんだろうか?

演技をするために選ばれた選抜ではないのに?

 

すべての仕事を選抜とアンダーという固定観念に捕らわれるのではなく柔軟に運営してこそ、それぞれの作品の質も高まるし、「しょせんアイドルでしょ」という声を黙らせ「演劇集団」としての乃木坂46の評価も高まるはずだ。