坂道徒然草

乃木坂46、欅坂46に関して思った事を思ったまま書き連ねる徒然草。 Twitter→@masa_NGZ

何の選抜?

あさひなぐ」の舞台版、映画版出演者はどのように決められたのだろう?

 

映画版は現時点では発表されてないけど、舞台版でまず気になるのは選抜メンバーのみ、という事。

映画版もおそらく同様なのだろう。

 

乃木坂46の選抜メンバーというのは、

「シングルの表題曲を歌うメンバー」

だと思っているのだけど、違うのだろうか?

もちろん、表題曲を歌う以上はグループの顔として歌番組や雑誌などに優先的に出て行くのは分かる。

選抜とアンダーで格差があるのも当然だと理解している。

 

しかし、舞台や映画も、グループの顔が出て行く必要があるのだろうか?

演技という世界は、自分の色を出していくアイドルとは異なり、作品世界とその登場人物が本当に存在するかのように自分の色を隠していく物だろう。(もちろん、自分の色をキャラクターに投影した方が良い作品もあろうが)

ようするに、アイドルとは別の世界なのである。

 

そんな世界に、なぜ「曲を歌って踊るために選ばれたメンバー」が優先されているのだろう?

 

アイドルながら演技適性の高い人は数多く居る。

今では演技派女優、個性派女優として知られる篠原涼子仲間由紀恵永作博美満島ひかりなどもアイドルだった。

 

異なる世界に挑戦するなら、少なくとも適性のあるメンバーで挑むのが相手に対する礼儀というものではないだろうか。

 

断っておきたいのは、決して今の出演者を否定している訳ではない。

これが、全員のオーディションで決められたのなら何一つ文句はないのだが、無条件に枠を決めてしまったら、仮に逸材が居たところでいつまでも埋もれたままとなってしまう。

 

実際、アンダーでも後方に居る伊藤純奈は「墓場、女子高生」を足掛かりに「犬夜叉」で高い評価を得た。

 

映像作品の側でも、乃木坂は個人PVで数多くのドラマを作っているが、今作17枚目では、相楽伊織が繊細な感情の動きを表情で魅せる演技で魅了してくれた。

 

このように演技の素質があるメンバーが存在しているにもかかわらず、頑なに選抜メンバーだけで仕事を進めようとする運営の意図はなんなのか。

 

一年前も、「じょしらく弐」は立候補制と言いつつ「15人を越えたらアンダーメンバーはオーディションで決定」としていた。

たとえば、演技力の低い選抜メンバーが残る事で枠が減り、演技を期待できるアンダーメンバーが出られないなんて事にもなってしまう。

たまたま15人だったため全員舞台に上がる事ができたが、もしかしたら機会の少ないアンダーメンバーがオーディションにならないように辞退した選抜メンバーも居たかもしれない。 

まさに愚の骨頂、作品の質を落とす蛮行でしかない。

 

本当に、ここで選抜とアンダーの格差は本当に必要なんだろうか?

演技をするために選ばれた選抜ではないのに?

 

すべての仕事を選抜とアンダーという固定観念に捕らわれるのではなく柔軟に運営してこそ、それぞれの作品の質も高まるし、「しょせんアイドルでしょ」という声を黙らせ「演劇集団」としての乃木坂46の評価も高まるはずだ。